2021.10.01建築

21世紀世界の先端建築を渉猟する 第42回
Ranging Over the 21st Century World Architecture (#42)

淵上正幸(建築ジャーナリスト) / Masayuki Fuchigami(Architectural Journalist)

オーディマ・ピゲ・アトリエ・ミュージアム(スイス、ジュウ渓谷)
Musée Atelier Audemars Piguet (Vallée de Joux, Switzerland)

左上の丘側から右下の草原へと下る傾斜地にある「オーディマ・ピゲ・アトリエ・ミュージアム」はユニークな2重螺旋形のグリーン・ルーフを持っている。

2重螺旋形プランをもつ超高級時計のアトリエ

世界的に知られたスイスのハイエンドな時計産業。われら平民にはまず手が届かない超高級ウォッチ・メーカーがひしめくスイス。人生に一度は身につけたいと思う。だが何しろ時計1個が、軽く住宅1軒に匹敵する値段がざらだから手も足も出ない。そこで高級ブランドながら安いバージョンを探すことになる。
 
実は筆者もひとつ持っているが、まあ高くはない代物である。はるか数十年前に友達から贈られた当時流行った超薄型の時計で、オメガのジュネーブという金張りの角時計だ。オメガは巨大時計メーカーなので、商品のバラエティーもたくさんがあるが、オーディマ・ピゲは超高級時計ばかりである。
 
オーディマ・ピゲといえばスイス屈指の名門時計メーカーであるのは言を待たないが、さらに世界三大高級時計メーカーのひとつでもある。その素晴らしい製品を生み出す同社の新しい増築棟が、これまた今を時めく世界的な建築家のビヤルケ・インゲルスによってデザインされた。

1875年創立のオーディマ・ピゲは、スイスのジュウ渓谷の中心地であるル・ブラッシュに居を構えている。新築された「オーディマ・ピゲ・アトリエ・ミュージアム」は、同地にあるワークショップや工場といった歴史的コンプレックスの中に位置している。
 
その組織や建築はオーディマ・ピゲの企業としての中核的価値観を具現化している。それは長い間の自律性を保持した家族経営という独立精神によって特徴づけられる。さらに規則と伝統に支配された分野における、従来の流れを変えるインキュベータでもある。何世紀もの間ジュウ渓谷における土地の自然や、住民の文化に根ざした時計製造の遺産を受け継いできた。
 
そして最終的にはオーディマ・ピゲを特徴付け、同社のモットーに展開されているブランド、クラフト、デザインすべてに共通するオーディマ・ピゲ・スピリッツを取り込んだ建築デザインが要望された。「オーディマ・ピゲ・アトリエ・ミュージアム」は、まさにオクシモロン(撞着語法)そのものである。顕著かつ微妙。現代的かつ永久的。機能的かつ彫刻的。流動的かつ定着的である。
 
「オーディマ・ピゲ・アトリエ・ミュージアム」はジュウ渓谷を貫く街道のすぐ下側(草原側)に位置している。周囲にある工場やワークショップと違って、円形プランを採用している。さらに俯瞰すると、草葺きの屋根にはダブル・スパイラル状のラインが見えるが、実はこれが渦巻き状のハイサイドライト(高窓)なのだ。
 
ビヤルケ・インゲルスはおそらく時計のゼンマイから発想したものと思われるが、それにしても大胆なデザインだ。雪が積もったときの表情は格別の趣がある。インゲルスの蛇がとぐろを巻いたようなユニークなデザインの提案に、オーディマ・ピゲ側も充分納得したと思われる。
 
建物はさらに外壁が曲面ガラスで覆われた全面開口部となり、内部は充分以上の自然光に満たされる。これは精密な作業するアトリエとしては絶対的な必要条件である。広大な草原をガラス越しに全貌できるアトリエは素晴らしい環境だ。これでは仕事も弾むはず。
 
よくできているのは動線で、来客はまず2重螺旋形の内側の螺旋形に入り、いろいろ見学しながら中心部に至る。今度はそこからもう一方の螺旋形に入り、見学しながら進むと外側の螺旋形に入っており、広大な草原等を見ながら進むと街道側にある既存の建物に地下レベルで繋がる。この既存棟の最上階にオーディマ・ピゲの傑作時計群が展示販売されている。御用とお急ぎでない方は、ごゆるりと!
建物の南側方向には広大な草原が広がっている。

曲面の1階開口部とハイサイドライトから光がもれる実にユニークな建築シーンである。

俯瞰した建物。草葺き屋根が2重螺旋形となっている複雑な構成が、建築というより彫刻的な佇まいのように見える。

左側は街道沿いの旧棟の地下にできたエントランス・ラウンジで右手のアトリエ棟と接続している。

天井は全面ガラス張りのトップライトという大胆なデザインのラウンジ。

アトリエ内部を見渡す。スパイラル状にガラス壁面が巡っており、それぞれの通路に小さな丸いショー・ケースのようなものが立っている。

広大な草原を見晴らす開口部の前でスタッフ・エンジニアが精密機械を操っている。

真冬のジュウ渓谷を見下ろす。静かな寒村のようなスイスの山奥から世界的な時計のブランドが生み出されているのは不思議な気がする。

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Bjarke Ingels/ BIG
Portrait by Jonas Bie
 
https://big.dk/#projects
 
Photos except 7 by Iwan Baan/
Photo 7: Courtesy of Audemars Piguet 
Diagrams by BIG
 
Design: Bjarke Ingels (BIG)
設  計:ビヤルケ・インゲルス(BIG)

 
著者プロフィール
 
淵上正幸 Masayuki Fuchigami
建築ジャーナリスト。東京外国語大学フランス語学科卒。2018年日本建築学会文化賞受賞。建築・デザイン関連のコーディネーター、書籍や雑誌の企画・編集・執筆、建築家インタビュー、建築講演や海外建築視察ツアーの企画・講師などを手掛ける。主著に『ヨーロッパ建築案内』1~3巻(TOTO出版)、『アメリカ建築案内』1~2巻(TOTO出版)、『世界の建築家51人:コンセプトと作品』(ADP出版)その他がある。